机が汚い
汚れているという意味ではなく散らかっているという意味で私の机は汚い。 これは非常によくない。生産性が落ちる。とかいってみるけど、実際関係あるんだろうか。 散らかっていてもその主にとってみれば最適化されたものの配置である何て事はよくあることだ。 散らかっているというのは客観的な価値観に基づいた評価だ。
と、さんざんいいわけをしてみたけど実際すごい適当に配線されたコードが邪魔だったりで実際に生産性は落ちている。マウス動かすときに邪魔になるレベルで、コードが散乱した。というのも、この間HDMIの切りかえ器を買ったのである。その配線だ。デュアルディスプレイかつ映像を出力している装置は3つあるので3×2、ディスプレイに2本、と計8本のケーブルがある。
どうすれば快適な机になるのか
ものを減らせば当然、机の上のスペースは広くなる。スペースの狭さから生じるめんどくささはなくなる。 だが、快適になる、と言い切るにはまだ遠い。 例えば僕はよく参考にする本を脇においてるけど、これをどかすと広くはなるが快適ではなくなるだろう。 要は取捨選択だ。
葉巻用の灰皿や、この間いった信玄餅の工場で体験した梱包体験で包んだ信玄餅はこの机の上にあるべきものだろうかということを考えた方がいい。 かといって、脇においてあるリファレンス本とかはコードを書くときたまに見ている。これはすぐ見れた方がいい。 要するに考えて散らかしていればいい。考えなしに散らかすとそこは物置場になる。 地頭がいい人は割りとこれがちゃんとできる気がする。僕はナチュラルテイストのバカなのでそれはできない。
あとコード類
コードの類いは上でもあげた通りごちゃごちゃである。でもこれ、ごちゃごちゃで困る事ってあるんだろうか。埃とかはたまるかもしれないけど、束ねられたコードの上でもたまるものはたまるのだ。 でもごちゃごちゃになっていると困るものもある。僕は3台のパソコンにUSB機器を繋ぐのを容易にするためにすべてのPCからUSBハブを机上まで伸ばしている。これはごちゃごちゃになると非常に困る。 テプラが好きな友人がいるが、こういうときテプラがあると便利なのだろうと思う。さすがにこの程度の需要では買わないのだけど。 今度ダイソーとかでネームテープでも買ってきて、メイン、だとかサーバ、だとか書いて張り付けるべきかもしれん。