マグカップの裏

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仕事をするときの距離感

距離感って大事ですね。
最近少しばかり仕事上で、距離感について考えていることが多いです。

何でそんなことを考えるかというとすごく距離感の近い人がいて困っている。
論理的な距離感、というか関わってくる深度というか、そういうのももちろん大変だが、最近困っているのは物理的な距離感だ。
近い。よってこないで欲しい、と思ったのだ。
別に抱きつかれたり挨拶代わりのはぐを求められたりはしないが、人のPCを覗き見る時すごく近くまで寄ってきたりするのが不快でたまらない。
物理的な距離感に不快感を覚える相手だから近寄らないように、距離をとるようにするのだけど、人のプライベートな領域にも踏み込みだした。先にかいた論理的な距離感についても不快な相手であるわけだ。
まあどちらかを図り間違う人であればもう片方も図り間違っても不思議はないのだけど。

例えば、複数人でPCの画面を見て確認しないといけないとき、私とある人でその確認を行おうとする。
その時、私の前に頭を突っ込んでまでPCの画面を見ようとして来たり、逆側に回れば誰もいないのに私がいる側からPCの画面をなんとか覗こうとしてくる。(見て何か有益な情報をこちらに提供してくれる相手ならこうは思わないが、はっきり言って邪魔)

そしてこういう人は年配の人に多く、自然とそういう人へのヘイトがたまってしまうのを感じていて、それについてはよくないなと思っている。


これも言ってはいけないことかもしれないがここは私のプライベートな領域なので言ってしまうと、臭いのだ。
年配の人が、ということではない。その私が不快感を感じている人がだ。
最初タバコ臭いのかと思った。私は葉巻を吸うので多少のタバコ臭さは無視できるし、2週間とか吸わないでいると気になってくるのだが親がそもそもタバコを吸っていたのでそこまで敏感ではない。
口臭がとんでもなく臭い人もいるし、事実口臭も臭かったがそれだけじゃない。なんだろうか。
京極夏彦さんだったかの小説で厭な小説というのを読んだ際、厭な老人という章があって、そこでその厭な老人というのは厭な臭いを漂わせているという設定だった。あの厭な臭いというのはああ言うのかもしれない。
加齢臭というのが私が知っている臭いだとしたら、加齢臭でもなさそうなのである。
衣替えの時期の話であるのでタンスとかの臭いかとも思えたが、それが口臭になるのはおかしい。普段タンスで暮らしているドラえもんのような人ならともかく。

かび臭い、というのが近いかもしれない。


しかし、実のところこの問題は私自身で解決すべきなのかもしれない。
物理的な距離感についてはその人から距離をとるしかないのだけど、臭いについてだ。
最近、臭いと思うことが多い。なんなのだろう。色々な不快な臭いを感じることが多いのだ。
ストレスがかかると、そうなるのだろうか。
それとも実際に臭いのだろうか。サイコロを振ったら臭いマスに止まってしまうことが多いだけなのだろうか。

自分自身の臭いにも気をつけないといけない。
ファブリーズが切れていたのを思い出して、買って帰ろうと思った、そんな朝。